伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の夫婦神が力を合わせ、この地上にいろいろな神様をお生みになった。そして伊弉冉命が最後に火の神をお生みになったとき、その火に身を焼かれ、ついに亡くなってしまわれた。伊奘諾尊は「ただこの一人の子のために、わが愛妻を犠牲にしてしまった…」と恨み言を言われた。歎き悲しみ涙した伊奘諾尊。やがて憎み、腰に下げていた「十握剣(とつかのつるぎ)」を抜き、火の神を断ち切ってしまった。剣の刃から滴る血、鍔から滴る血、剣先から滴る血、剣の柄から滴る血、各々が神となった。(中略)剣の柄に溜まり、指の間から漏れ流れ滴る血がそそいで神となった。名付けて「闇龗(くらおかみ)」という。
貴船神社について
御祭神
奥宮
高龗神(たかおかみのかみ)
船玉神(ふなだまのかみ)としての信仰も篤い一説には闇龗神(くらおかみのかみ) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られていると伝わる
結社
磐長姫命(いわながひめのみこと)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姉姫
本宮
高龗神(たかおかみのかみ)
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の御子神(みこがみ)、水の供給を司る神
「高龗神」について
貴船神社に祀る高龗神は、古事記や日本書紀に登場します。古事記では次のように記されています。
また日本書紀には次のように記されています。
一書(第七)にいう。伊奘諾尊が剣を抜いて、軻遇突智(かぐつち)(火の神)を斬って、三つに絶たれた。その一つは雷の神となった。一つは大山祇神(おおやまつみ)となった。一つは高龗となった。かくして火の神から生まれた水の神が高龗神です。人にとって火は大事なものでありますが、使い方を間違えると大きな災いをも招きます。荒ぶる火を鎮めるため、火の神から水の神が誕生したのです。
高龗神と闇龗神
貴船神社の御祭神である高龗神は闇龗神とも伝わります。社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記されています。降雨・止雨を司る龍神であり、雲を呼び、雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に蓄えさせて、それを少しずつ適量に湧き出させる働きを司る神です。一説には、高龗は「山上の龍神」、闇龗は「谷底暗闇の龍神」と言われています。 水は万物の命の源。生きとし生けるものが命をつなぐために片時もおろそかにすることができない大切な水の供給を司る「水源の神」です。由緒
貴船神社の創建を明記するものは残っておらず、創建の年代は不詳です。
天武天皇白鳳六年(約一三〇〇年前)には、すでに御社殿造替が行われたとの
社伝が存在することから、創建は極めて古いと考えられます。
天武天皇白鳳六年(約一三〇〇年前)には、すでに御社殿造替が行われたとの
社伝が存在することから、創建は極めて古いと考えられます。
貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。また別の伝説には、約一六〇〇年前に初代神武天皇の皇母である玉依姫命が「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民(れいみん)の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、淀川、鴨川、貴船川を遡り、水源の地として現在の奥宮に至りました。清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、貴船神社の起源と伝えられています。
御神徳
「きふね」は古くから気の生ずる根源として「氣生根」と記され、
御神気に触れることで気が満ちるとされてきました。
御神気に触れることで気が満ちるとされてきました。
歴代朝廷の信仰も篤く、水の神として炎旱(ひでり)の時には黒馬を、霖雨(ながあめ)の時には白馬または赤馬を献じて、雨乞い、雨止みを御祈願されました。そのほか、疫病が流行した時には厄除を御祈願されるなど、天下に大事があるときには勅使を遣わし、御祈念され続けてきました。