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文学

文学

短歌

大正時代

大正13年12月3日、天皇陛下(大正天皇)の御病気平癒祈願のために皇后陛下(貞明皇后)が行啓された折の克明な記録
「甲子行啓日記」が貴船神社に残されている。 貞明皇后はかねてから貴船神社への参詣を切望されていて、その実現を
大層およろこびになられたという。奥宮では神門の脇にある楓と杉が合体した樹木にお目が留まり、大変感激された。
以後、この樹木は「連理の杉」(連理=夫婦の仲睦まじいこと)と名付けられ、御神木として大切にされている。
行啓の五日後、京都御所にて御歌会を開かれ、「社頭冬」と題して御歌を詠まれた。

明治時代

平安時代

貴船神社が「恋を祈る神社」として知られるようになったのは、今から千年もの昔、宮廷の女流歌人として名高い和泉式部が、
夫の心変わりに悩んだ末に貴船神社に参詣し、夫との復縁を祈願したところ、願いが叶えられたという話に始まる。

切ない思いを歌に詠んで貴船の神様に捧げたところ、御社の中から男の声で返し歌があった。
それは貴船の神様のお声に違いない。その後、ほどなくして夫婦円満にもどったと伝えられている。
この話は『後拾遺和歌集』『沙石集』『扶桑記』などに伝えられ、この歌は和泉式部の作品の中でも
傑作中の傑作とも評されている。

千年もの昔に、あの宮廷の貴婦人たちが、どのやうな出立ちで道も険しい賀茂川の源流にまで訪れたのであらうか。

鎌倉時代
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